結局ぜんぶ推しのせい

いろんなことが起きている

答えはきっとずっと先。「ミュージカル刀剣乱舞三百年の子守唄」

 

2019年最初の推し現場。

 

発表になったタイミングが本当にしんどかった。

推しさんに大手を振って大好き!最高!と大騒ぎしていた秋の現場の大楽直前の夜だった。また一方で推しさんの誕生日直前、「誕生日プレゼントありがとう」の空気と、ちょっとした匂わせ疑惑と。私の頭はめちゃくちゃ。呆然としながら友達に電話をかけ、なぜか大泣きした。ジャージー・ボーイズぐらい、待ちぼうけした1年2ヶ月ぐらい、すっきり終わりたかった。それすら許してくれなかったか、みたいな、そんな気持ちで始まった。そんなに嫌なら行かなきゃいいだろうという話なのだが、乗り越えたい気持ちのが大きかった。2年前混乱の中で終わったアレを乗り越えるなら今しかないと思えたのだった。

 

この現場にあたって私が決めたことは2つ。1つ目は観ながらお芝居にリスペクトが持てていないと思ったら、手元にチケットが何枚あろうと終わりにすること。2つ目は絶対に地方には飛ばないこと。「会いたいって思えるんだったら行っちゃえば?」と仲良しさんには言われていたが、今回はひとまず頑張らないことにした。

 

推しさんにとってこの作品が、人生をひっくり返すほどの出会いであったことは間違いない。「(この作品で)才能が開花した。みんなに出会えた。」と嬉しそうに話す姿を何度も見てきた。そして、私にとっても推しさんのところへ戻ってきたきっかけの1つであることも間違いない。それでもこの作品の中で生きている推しさんをまるっと肯定して、愛していくにはまだ時間がかかりそうだ。ひっくり返った世界でまだ自分の場所を見つけられずにもがいている。もともと場所なんかないのだ。それでも、なんだか虚しくなってしまったりもした。団扇を新調しながら何度も何度も同じことを考えた。周りの協力もあり年明けにチケットは揃っていたが、もやもやの答えは出ていなかった。

 

ずっと楽しみ半分、不安半分。瞬く間に初日の幕は上がっていた。推しさんのお芝居はとても丁寧になっていたように見えた。揺れないとかブレないとか、後ろで控えてる時もパワーを張り詰めておくとか。静かな一瞬に推しさんなりのこだわりを感じた。大好きなソロは、初演よりもずっと迫力と勢いが増していた。ベタッとした歌い方が結構好きだったんだな、とも思った。あの曲の後に「エイエイオー!」の掛け声、凛々しく場から去っていくシーンを見た時に、なんとも言えない懐かしさとまた何かが大きく動き出すんだという実感が急に湧いていた。全然泣くようなシーンではないのにボロボロ止まらなかった。口では時間よ止まれと願いながら、結局推しさんの時間が進むことしか望んでいなかったことに気がついた。「さすが村正のファミリー、痛快です!」のタイミングが変わって、静寂が短くなっていることに気がついたのは凱旋に入ってからだった。

 

推しさんに出会って、言葉の演劇だけじゃなく身体の演劇が好きになった。どういう風うに動くか、どうして立ち止まるのか。立ち姿ひとつでその人の思考や生活がにじみ出ることを知った。目線の動かし方で、相手との関係性や相手に対する感情の見え方が変わってしまうことを覚えた。そんなささやかな仕草をじっくり見ていくのが好きになった。だから今回もそんなところばっかり覚えている。物吉くんが石切丸さんに詰め寄るとき、蜻蛉さんはいつも目を閉じて話を聞いていた。言葉数は少ないが、絶対にブレないように、心の中の波風を立てないように後ろでひたすら受け止めてる姿。この人は終始これなんだなと思った。自身の中に渦巻きもあるけれど、流れを受け止めて、構え続けるから蜻蛉さんの一言一言は重みを持つ。初演の時に感じなかった、彼が本丸で過ごしてきた短くはない時間を今回は感じることができた。

 

他には、村正派の素手攻撃が増えてびっくりしていた。槍離した後に敵ぶん殴ってますけど!?こんな感じで戦ってましたっけ!?刀咥えちゃうんですか!?なんですかこれ!?と終始大混乱していた。銀河の時は違和感があったが、TDCになってから舞台サイズが拡大し、離れ技が映えるようになったので納得した。銀河は想像よりはるかに手狭なのだと思い知った。 今回は何度か立ち見を経験した。1度目は偶然の巡り合わせでやってきたチケットだった。3階席立ち見。セットの動き方が綺麗に見えて、めちゃくちゃ面白かった。初演の大階段、横に伸びる形状から二つに割れる階段になり、舞台のかたちも相まって奥行きの表現に気を遣っていたようだ。雑に言うと、上下の初演と前後の再演。上からこうやって動くんだ〜ここでくっつけるんだ〜とセットを眺めているのも面白かった。この時点でお芝居へのリスペクトがなくなりかけているといえば、そうだったかもしれない。

 

倶利伽羅のキャスト変更に関して、ここで触れるべきか悩みあぐねているが、できるだけあっさり述べるなら、「身体能力が高くて若くなった」が感想だ。少し線が細くて小柄な印象を受けたが、殺陣がとても綺麗だった。中の人のツイッターの様子が日々おかしくて、気がついたら結構好きになってしまった。  

 素晴らしい瞬間がたくさんあった。ささやかな感動を挙げていったらキリがないほど。みほとせはどちらかと言うと土着的で地味な話だ。劇中で青江や村正が語る家康像は、みほとせそのものへの印象に近い。歴史遡行軍の徳川四天王殺害による歴史上の窮地から長い時間をかけて、一般的になった史実のルートへ戻してく様を石切丸の視点から描いている。その中で己の出自への葛藤、刀剣男士としてのあり方と悩みに焦点が当てられ、一振り一振りが成長の物語を重ねていく。初演では、個の物語の印象が強く、特に大倶利伽羅と吾兵の物語に観る力点が絞られてしまっていた。*1しかし、今回はそれぞれの物語をきちんと観ることができたように感じている。輪郭を形づくる蜻蛉切、周囲との関わり方を自分で見つける村正、過去と対峙する青江、モノとひとの間で強くなる大倶利伽羅、初めての矛盾に立ち向かう物吉、そして、仲間を知る石切丸。

揶揄されることも多いこのシリーズの中で、こうして振り返ることができるほどきちんと素敵な芝居を観た。それだけで私も強くなれた気がする。リスペクトは最後まであった。ギリギリだったけど、芝居が好きなまま現場へ行けた。

 

2部の話を少しだけ。2バルでふと下を見ると、紫がいつもより多かった日があった。純粋に嬉しくて堪らなかった。元々のコンテンツに明るい方ではないから、推しさんが演じている蜻蛉切がどれだけ原作に忠実かはわからない。もしかしたら怒られてしまうほど違うのかもしれない。推しさんの色がたくさん入ってしまった蜻蛉切さんをこの瞬間選んで、応援してる人がこんなにいて、私もその一部になれて、こんな大きな劇場で、推しさんはあの日のような宇宙を見てる。サイコーに気分がよかった。1部で苦しそうでも、2部で歌って踊ってるうちに笑顔が溢れてくる姿、さっきまで頑張れ!って見てたのに、次の瞬間には会場を震わす歌声を響かせる。音楽の中で生きている推しさんが好きだ。推しさんそのものが滲んでくる瞬間に出会えると嬉しくて仕方ない。

 

なんだかんだ楽しく過ごしたみほとせ期間だった。繰り返しになるが、この作品でお芝居を観れた実感が何よりも嬉しかった。これからこの作品の周辺で起きること、そして、相変わらず高速で変わっていく推しさんに対して、「まああんなこともあったよね。」と笑えるようになるまで、この居場所探しの答えが出るのはずっとずっと先の未来のように感じる。それまで推しさんの舞台を楽しく観ているかは、正直自信がない。それでも、推しさんが歩きたい未来に今の全てが繋がっているように、答えのひとつになるように、信じることしかできない。

 

答えがいつか出ますように。

 

すっかり自分語りになってしまったが、この半年間大きな怪我や病気の話もなく、大きな作品と役にまっすぐ取り組み続け、時には「しんどい〜!」とこぼしながらも、観てるこっちが心配になる日もありながらも、毎回毎回新しい気持ちをくれた、役者としての推しさんを改めて尊敬した。どこまでいけるかわからないけど、今年も一緒に楽しい時間を過ごせますように。ちょっと遅くなったけれど、お疲れ様でした。

*1:これはあくまで筆者の見方です。