アイデンティティ、きみ。

いろんなことが起きている

2018年のだいすきと観劇の記録③

秋です。推しのところにしかいません。

 

 

9月〜11月『ミュージカル ジャージーボーイズ』

1年2ヶ月、この芝居に立つ推しさんをファンとして観たい、そのことに執着してやってきた。何度も事件が起きて、「本当に情けなく思っています。」なんて言わせたこと今でも根に持ってる。そして、その中に自分が存在するってことが心底馬鹿みたいだった。推しさんのお芝居が好きなだけなのになぁ、なんでこんなことになっちゃったんだろう、そんな日々の支えがジャージーボーイズだった。耐えられなかった2ヶ月でさえ、「ジャージーボーイズまで頑張れたらよかったのにねぇ」がお決まりの愚痴だった。私の推しさん、やっと、東宝プリンシパルなんです、2年前には考えられなかった大きな役で、プリンシパル。気分がいい。世界中に自慢したい。

 

9月入ってすぐ初日。推しさんが得意じゃないはずの音域で、Sherryのコーラスを歌っていた。推しさんの声が聴こえた瞬間、ファンとして報われるってこういうことか〜!なんて思ったのをよく覚えている。前から拝見してた矢崎さんのボビーもめちゃくちゃ好きだった。矢崎ボビーの「最恵国待遇で応じよう!」の嫌味のなさがたまらなかった。

嬉しくて嬉しくて、観に行くたびに感想の手紙は止まらなかった。日々変わるお芝居にも、深まっていく彼らの関係性にも、完全にハマった。

最初は個々が棘々しく、ぶつかり合うTeam Blueだった。穏やかさを持ち合わせないジャージー州の彼ら。びっくりした。気がついたらトミーとニックが分かりやすく仲良しになっていた。ニックは怒ったり、泣いたり、冷ややかだったり、分かりやすく苦しんでいたり…などなど。振り返っても結構内面的に忙しい人だったのかもしれない。

「外側にいるように見えて、1番内側にいる人」というのが彼に対する結論。東京の最大値まで怒らない彼もひとつ美学だったし、後半戦〜地方のブチ切れる彼もまた人間的だった。トミーはニックがいたからあんな無茶苦茶なやつとして存在していて、ニックもニックでトミーの無茶苦茶さを受け止めていくことに一つの存在意義を見出してしまっていたのかな、とか、そんなことを永遠に考えた。

recordingのときトミーはアホみたいなセクハラをしようとして、ニックが止める。調子乗ったニックが次の大物歌手の後ろでイキって怒られる。東京の序盤はたったこれだけだったのに、怒られたあとトミーが大物とニックの間に入るようになった。「まぁまぁ〜」ってトミーの声が聞こえてきそう。些細な変化がたまらない。

ボビーといえば、FALLで今にも泣き出しそうに「それでいいのかって聞いてるんだ!」と話す回があった。この日のFALLの温度は凄まじかった。矢崎ボビーは怒ると泣きそうになる。語彙はないが「わ、わかる…」しか出てこなかった。

 

音楽のWhite、芝居のBlueと身内がよく言っていたがまあそうだった。Whiteを観たときにラストシーンの楽屋ではみんな大人だし、仲良しそうだった。トミーのパーティーに全員集合しそうだ。ヴァリがその場に行けないのは、あの3人の「時間が解決してくれた」的な落とし所への違和感なんじゃないかなと、白に対しては感じた。ヴァリはトミーの借金まるっと背負っちゃってたわけだから当たり前ではある。

Blueは集まらなさそう。とにかく「自分が間違っていたかもしれないが、間違ってなかった」という点で意地も張るし、プライドもある。心優しそうに見えるボビーですら、「ああしたことにはなり得なかった、僕がいなければ。」と言うんだからそうだ。ここは海宝ボビーと矢崎ボビーで結構受け止め方が違ったところのひとつでもある。

 

FALLは青のが好きだった。ニックの怒りが痛い。グサグサと刺さる。自尊心をぐちゃぐちゃにされて、追い打ちのように「僕とヴァリ以外。」というボビーの1言。そしてあのニックの「え?」の表情。観客を笑わせようという意図が受け取れる様にこのシーンを演じてたのが最初は全然理解できなかった。笑われているのも辛かった。そして、ニックに寄り添うように芝居を観ていたことにここで気付かされる。彼が大好きで1番大切にしてきた「フォーシーズンズ」のファミリー中で、彼は大切にされなかったことを大衆に嘲笑れてるようだった。見ていてとにかく痛かった。でも途中で気がついた、人間は本気で絶望したときはウケちゃうのだ。笑うしかないというやつである。彼の絶望としての悲しい笑いと、そんな彼の自尊心を更にズタズタにする客席の笑い。この二重構造に私の心は死んだ。ニックはクズだけど幸せにしたい。

 思い返すと、青は逆算のニックマッシだった。序盤から気軽なテンポで繰り返される「俺も自分のバンドを作ろうかなー」、時として涙ぐみながら語られる家族のこと。その全てがラストシーンのニックマッシに繋がっていた。むしろあの「自尊心だった」から逆算された言動にしか感じられなかった。家族の話をしているのは、あの地下室から飛び出して数年経ったニックの視点だった。それゆえに後悔が色濃く表現されていた。天才に傷つけられたパンピ。彼だって天才だった。彼がいなかったらヴァリは歌えなかったし、電話口のSherryにビンゴォ!をもらえていなかったはずだ。それでも彼の苦悩は汎用で、あまりにも普遍的だった。天才を羨んだわけではないと思う。ただ、俺はもっとできる、も捨てられなかった、とも、思う。そんなことに気がつけるのはきっとニックがFALLのあの日よりずっとずっとおじさんになってからなんだろうなあ。

 

青トミーとヴァリは兄弟だったし、白トミーとヴァリは地元のイツメンだった。「役者の選択が違うだけ」と推しさんは話していたが、ここまで違う印象を持つのも珍しかった。あまりきも違う。好きだ。選べない。でも芝居として見ていることが多いからか、どうしても青の話が多くなってしまう。

 

推しさんはこの期間ずっと、音楽の中で戦っているように見えた。あんなに苦悩しながら歌っているの見た事なかった。歌うとどこかへ飛んでいきそうな姿を見ることが多かったから、それはそれで不思議な気分だった。びっくりしたけれど、もうTeam Blueと推しさんが日々を乗り越えられるように祈ることしかできなかった。東京の間はCry for meでいつも手に汗握っていた。あの曲でその日の音楽が決まってしまう。恐ろしい。

 December'63のニックについても書いておきたい。白と青で女の子に対する反応が全く違う。この曲はクリスマスパーティーのシーンで、ヒット曲を連発するフォーシーズンズにレコード会社が女の子をプレゼントしてくれた、ホテルの1室が描かれる。「個人的に初めてのことを成し遂げる」ボビーが可愛くて可愛くて…なシーンでもある。そして、この曲はほぼボビーの曲。しかし、ここのニックがやばい。白ニックは、女の子が来るのを座ったまま待ってて、ここだよ!と膝をトントン、そして女の子着席させる。そのあとも割と女の子がきゃっきゃしているのを穏やかに聞いている雰囲気だった。青ニックは、女の子が来ると立ったまま両手を広げて迎え入れて、膝の上に乗せてから抱き直す。収まりが悪いこともあって、口にビール瓶をくわえたまま何度か抱き直していたことがあった。女の子のどうしたの〜って声が聞こえてきそうなほど、眠そうだったり、甘えたな顔してよしよしされてそうだったり。女の子のがちょっとだけお姉さんに見えたりする。ほんの一瞬なのだが、ここはかなり好きなシーンだった。青ニック、かわいい。白ニック、紳士。

 

ジャージーボーイズでの出会い。

アンサンブルで出演していた山野靖博さん。

山野さんのnoteがめちゃくちゃ面白い。芸大でオペラやってた人がミュージカルの世界に飛び込んで、芝居と向き合って、何を考えて、何をしたいのかがいろいろ書いてある。山野さんの文章から、現場で起きること、演劇に対して、その新鮮な驚きがそのまま伝わってくる。素敵だなあと思いながらジャージーボーイズの間ずっと読んでいたし、今も読んでいる。

 

アンサンブルの仕事|山野 靖博(ぷりっつさん)|note

好きな記事。アンサンブルって本当に本当に奥が深い。とんでもない技術職だ。アンサンブルと呼ばれるポジションの人と出会うのは、ミュージカルの時が多いけれど、その物語の空気や温度を創るのは、アンサンブルの力が大きい。ひとりひとりが立っている作品も好きだけど、誰がよかった!かっこよかった!も素敵だけど、作品推しになれるのが1番幸せだ。

 

ジャージーガールズ、まりゑさん。

 

ツボ!ってなる人はこういうことを言う人。ジャージー期間中にまりゑさんが上げてた動画が面白くて可愛かった。ANGELSの青担当ちゃん。ヴァリの膝に乗ってバタバタしてるのめちゃくちゃ可愛かった…ヴァリそこ変わってくれ…マゴリックになっていたらそのときはレポを書く。SNSの使い方が独特で、見てて飽きない。声もすき。大楽で楽しそうに挨拶してたのも素敵だった。東京楽でYouTuberまりゑをやってた。好きすぎる。場面場面でくるくる変わるまりゑさんにときめいた結果、推しが推しにセクハラするという意味の分からないことが起きた。そうするとrecordingは神シーンだったのかもしれない。

 

そろそろ総括。

毎週毎週クリエに、地方に、必死になって駆け抜けた。役者としての推しさんを、ジャージーボーイズの世界をブラックホールよろしくの勢いで好きになる日々だった。誰かに注目すればまた別の物語が浮き上がる。音楽に浸ると純粋に幸せな気持ちになれる。深まる関係性を熱狂的に応援し、劇中で語られる「目の下にくまを作ったかわいい女の子」としてジャージーボーイズの世界に入り込んだ。幸せだった。なによりも楽しかった。

 

2回トラブルがあった。1回目は東京公演の最後、台風で休演になったこと。2回目は大阪でテクニカルトラブル。30分押しの開演だった。当たり前のことなのだが、どんなお芝居も当たり前に開く幕はないし、当たり前に終わる幕もない。ジャージーボーイズに改めて教えてもらった。そんな大阪で「今日はラッキーデーだ!」と出てきてくれた伊礼トミーには今でも感謝の気持ちがある。あの一連のトミー節で不安が全部飛んでった。トミーはそういうところがすごい。

 

振替公演の日、ずっと引っかかっていたシーンがついに解消された。嬉しかったけれど、このとき急に終わる実感が沸いてしまった。この作品が終わる戦いでよかった…と胸をなでおろしたのもこの日だった。

 

千秋楽、割とケロッとした心持ちで見ることができた。もうどのシーンにも引っかかりはない。真っ直ぐにジャージーボーイズを受け取った。一緒に観に行ってくれた友人は青がかなりツボだったようで、終わったあとしばらくいろいろと感想を教えてくれた。それは推しさんに全部伝えたいぐらい素敵な感想だった。ものすごく嬉しかった。

カテコで推しさんが中川さんとじゃれてるのがなんだか無性に懐かしくて、推しさんのことが頼もしくて、その場面が1番ぐっときていた。終わってしまう青春。珍しくきちんとお別れができた。今でもジャージーボーイズが大好きだ。大好きなまま、宝箱に仕舞って、11月11日に終わった。不思議なことにベースの日だった。そして、プリッツの日で山野さんの日でもあった。

 

 

白青混合フォーシーズンズがFNS歌謡祭に出たことや今後ライブ版のCDが出ることなどなど、終わってもなお話題が尽きない。推しさんがこの物語をどう思っているかは次のファンミにならないとわからないけれど、少なくとも私には幸せすぎるほどの3ヶ月だった。「ほんっとに楽しかった!一生やってたい!」よく推しさんが言うけれど、そんな感じ。

 

また何年か経って、Team Blue/Team Whiteに会える日が来たら最高だ。Big girls don't cryは身体に染み付いたままだろうし、ヴァリ教先生に熱血指導されてまた笑うのかもしれない。その日が待ちながら、今日もジャージーボーイズの先を生きている。