結局ぜんぶ推しのせい

いろんなことが起きている

2018年のだいすきと観劇の記録①

12月16日で今年の推し現場も全て終わりました。

推し各位、皆様が健康で素敵なまま板の上に立ち続けてくれて、物語を届け続けてくれたことを感謝しております。あなたたちのおかげで今日も明日も私は生きています。冗談じゃなくね。来年も素敵な思い出がたくさんできますように。

 

だいすき記録。

 

1月『TENTH』

2015RENT同窓会SPに圧倒的感謝。

 

 

1週目、who loves youのラストではフォーシーズンズのメンバーが空に手を翳す振り付けがある。2016年のフライヤーなどで印象的に使われてたこともあり、ぱっと見た瞬間にこれが今年のメインビジュアルになるんだなって思ったら、またボロボロ泣けてきた。上手にいる笑顔の推しさんを見て、さらに泣いた。

Next to Normalで見たことないほどにキラキラした王子様を演っているご贔屓さんが半端なくて、言葉を失う。Next to Normalは大好きな演劇ライターさんがものすごく押しているミュージカルで期待は高かったけれど、とんでもなくツボだった。マイケルグライフはやっぱりすごい。

 

早くクリエでDear Evan Hansenをやってほしい。ワガママ言えるならご贔屓主演でやってほしい。絶対似合うのと、ご贔屓が『waving though a window』を歌っているのを聞きたい。


"Waving Through a Window" from the DEAR EVAN HANSEN Original Broadway Cast Recording

 

血の色が残るバケツでダンが雑巾を絞っているのがあまりに衝撃的で今でも思い出してしまう。海宝さんの『I'm alive』が凄まじくてまた聞きたいと思っている。透明なガールから永遠に泣いていた。ダイジェスト版なのにロスがすごかった。

 

2週目は大好きな「きみはいい人、チャーリー・ブラウン」のガラコンサートを楽しみに通った。石丸幹二さんがかわいい「ニューブレイン」を観て、石丸さんがかっこいいガラコンサートを観て、石丸さんのインスタをフォローした。かっこよくて可愛いおじさんがだいすきです。YGCB今でも大好きなのですが、再演はしないのでしょうか。

 

 

3週目は本命週。「その森で、天使はバスを降りた」とガラコンサートのRENTweek。

一部のお芝居が結構好みで、休憩時間はそっちに気を取られていた。パーシーが形容する光とパーシー自身が町にとっての光になっている重なりがものすごく、よかった。あぁ、坂本真綾さん半端ない。映画とは違うラストに穏やかな気持ちをもらった。TENTHという記念企画の最後が「その森で〜」なのは家と舞台にしたかったからなのではないかな、と推測している。家は人が住むことで家になる。劇場は、人が集まることで劇場になる。そういう場所であってほしいな。幸せだ。この週が本命でよかった。推しは一言も喋らない。

休憩中も真綾さんの歌声が頭の中に響いていたけど、ZANNAの激重いミロをキメました。こっちの業界ではテキーラショットみたいなものです、ミロ。*1

 

1曲目はイントロでわかるアレ。今日まで推しさんやご贔屓がくれたものが全部詰まってた。シルエットだけで涙が止まらなくて、苦しくなるほど泣いた。いつだってその大きな笑顔で、時々真面目な顔で、「影響を受けたのはRENT」って言えば、私はちょっとだけ気が振れてしまう。大事にしてくれる度に、まだ推しさんのファンとして居場所があるって思ってしまう。勘違いだって分かってるんだけど、それでも、あの日々は消えない。何があったって思い出してしまう。今までで一番嬉しいソロでした。

T4Uはロウマさんがすごかった。私たちのエンジェル平間さんもすごく好きだった。声辛そうだったけど、それでもそこにいるだけでエンジェルだ。平間さんはそういう存在。久々の光永兄貴は、なんだかまたレベルアップしてたような気がする。

久々のソニン様!RENTをすっごく大切にしてくれていること、「好きだからこそ執着したくない」といつも言ってるところが素敵。本当に大切にしているのがわかる。ソニンさんのそんな愛が東宝版RENTを盛り上げてきたと思う。15fam信者の私の中で、ジョアンヌはいつだってみきてぃーさん。あのカッコよくて、ちょっと弱々しい「プーキー」って呼びたくなるような可愛さを持ち合わせたジョアンヌ。素敵。

 

マークは、2年掛けてはちゃめちゃに強くなった。自分の身の置き所がわかってない輪郭の見えない2015年のマークも、解釈としてはきっとありなのだと思うが、わからなかった。あのマークをよしと判断するのか、素晴らしいマークだったのか、2年間わからなかった。2017年のマークを観てわかったのは、2015のマークはご贔屓そのものだったんだってこと。ミュージカルの現場で、今まで関わったことのないような人たちと一緒に、わからないことに必死に手を伸ばしていたご贔屓そのものだった気がする。自分より周りを見て、自分の在り方を創り出す彼はやっぱり好きな役者だ。「ああにしかなれなかった2015のマーク」。やっと腑に落ちた。

 

その場にいたファミリーはもちろん、いなかったファミリーのこともたくさん考えた。新井さんもゆかちゃんも岡本さんもマルさんもしゅんかく先生もさほさほもとのちゃんも…上げれば上げるほどいろんなシーンが思い出される。いつだってアルファベットシティの中でファミリーに向かってあなたが大好きだ!幸せになって!って叫ぶ。そんな1年の始まり。

 

 

2月『Valentine』『FUN HOME』「妻らない極道たち』

2018年最強のメンヘラオタク期間。なぜかバラをもらってバカウケした。1年勝手に踠いていたことに関しても言及されて、落ち込んだ。立ち直り方がわからなくなっていた。悔しくてお見送りで目も合わせられない。あまりの酷さに輪をかけて落ち込んだ。推しさんには申し訳ないことをした。もっくん厨と鍋食べた。鍋はいつもうまい。

小川さんがミュージカルの演出やるの珍しいなぁと思って『FUN HOME』。2.5次元と立ち上がりは一緒なのに何が違うんだろうな〜。設定は複雑に感じたけど私は好きだった。下敷きになってる英米文学の知識がなさすぎて悔しかった。ムカついて勉強し直してる。大原櫻子ちゃんの素朴さが結構ツボ。

『妻らない極道たち』小玉さんが最強だった。小劇場と商業の中間の空気が漂っていて面白かった。ジェンダー格差とか、女の子として生きていくこととか、社会的意味としての婚姻とか、色々考えちゃった。美術が面白くて、漫画のコマが重なり合っていくのも素敵だった。控えめに言っても榎本さんは結婚してほしい。

 

3月『99歳まで生きたあかんぼう』 『閉店拒否!』

ご贔屓さんの久々ストプレ。99歳は別の記事で書いたので省略。

『閉店拒否!』愉快だった。ずっとミュージカルを見てたからか、ストプレコメディが楽しくてたまらなかった。橋本へいへいさんが可愛い。トライフルくんはトライフルくんくんの舞台を作るからおもろい。何作か見ると、トライフルくんだな!ってわかるようになる。

 

4月『Take Me Out』

藤田さんと小川さん、玉置さんに惹かれて何も考えずにチケット取った。そういえば推しさんが出てた。本当に会場着いてから気がついた。推しさんの芝居を、というか推しさんの姿そのものを約2ヶ月ぶりに見た。息遣いとか、身体の見せ方とか、目線の使い方。そんな些細なことを覚えてた。カテコで誰とも目を合わせず、虚無を見てる推しさんが苦しかった。推しさんの役がDBで死んでいくのを何回か見た。あのシーン終わりの薄っぺらさが好きだった。B面からダレンの絶望しきった顔を見るのが好きだった。ダレンはあの瞬間から変わった。変わる代償はあまりにも大きかったよね。ダレンには幸せになってもらいたい。神様が人間になったから。TMO、今でもかなり好き。自分が感じている状態との親和性が妙に高かった。あの場所にいる人たちが抜け出せない透明な檻の中で、私も誰かも生きている。  玉置さんが強靭な身体性を封印して、言葉で戦っているのも素晴らしかった。好きな演者さんしか出てなかった。役者さんがその場にいること…そのままのパワーに委ねてる部分も大きかった。その場に存在し続けることって1番難しい、気がする。

 

劇評を書いたので下記セルフ転載。

「野球は民主主義のメタファーです!」会計士のメイソンは、目を輝かせながら野球解説を始める。「誰にでもチャンスが平等にあり、自分のプレー時間を自分自身でコントロールすることができ、数字で勝ち負けがはっきりと決まる。美しい!」。この舞台は、「野球」一点だけを共通点としながら全く異なる方向を向いて生きている男たちとその社会の物語だ。2003年にブロードウェイで初演された本作品は、2016年に藤田俊太郎演出、翻訳小川絵梨子によって日本初演。本文は、2018年3月30日から5月1日までDDD青山クロスシアターにて上演された再演版に対し、4月14日夜公演観劇分を中心として書いていくものとする。

 アメリカが人種のるつぼ、多民族国家であることは語るまでもない。本作が初演された2003年、アメリカはオバマ政権の発足により新たな転換期を迎えた。それは新しい時代の幕開けで、多くの人に希望を与えるものだったのかもしれない。現在、トランプ政権の台頭により多くの社会問題はより濃く浮き彫りになっている。LGBT、人種差別、貧困。アメリカ社会を土台にしているが、現代日本社会もそれぞれの問題に直面しているのではないか。そんな差別の無意識性を登場人物の会話から引きずり出し、再提示することにおいて「Take Me Out2018」が今上演される意味は大きいと考える。

 舞台は低いセンターステージ、客席は対面型。あるメージャーリーグチームのロッカールームを模したセットが組まれている。概ね左右にロッカーセットはまとめられているため視界を遮ることはないが、個人のロッカーを役者が動かし、場面ごと閉じる、開く空間を作り出していた。時としてこれは檻のようにも見える。

 キッピー・サンダーストームがこの物語の語り手だ。彼が語っていくのは、彼の所属する野球チーム『エンパイアーズ』のある1シーズンの出来事。このチームには、スター選手のダレンが居る。キッピーは、ダレンを「白人の母と黒人の父を持つが、彼のことを差別する人はこの国にいない。」と語る。伝聞として観客に伝えられるダレンは、スーパースター。人格者で国民的人気者のスラッガーだ。物語は、そんなダレンが自分は同性愛者であることをインタビューで語ったところから始まる。この作品の特徴として、観客は重要と思われる人物の発言を「伝聞」の形でしか触れることができない。ダレンの告白に関しても、そのような会見があったとキッピーが語るのみだった。キッピーは語り手であるが、あくまで全ての訳者であり、選手同士の口喧嘩に対して「喋れないが何を言っているのかはわかる。」から、仲裁に入る人間だ。曖昧なままで理解者であろうとする姿勢に、彼の傲慢さが見え隠れする。抑えの投手シェーンが2軍から上がってきた。彼は凄腕の投手だが、幼少期を施設で過ごした経験などから極端な思想を持ち、問題行動も多い、対人コミュニケーションが苦手な選手であった。そもそも自分自身のことを理解できていないのである。キッピーは、シェーンに対し「言葉を知らなすぎるが、僕には彼が理解できると思った。」と述べてシェーンの教育係を買って出ていた。しかし、シェーンはヒーローインタビューで「ゲイと並んでシャワーを浴びるなんて耐えられない!」と発言してしまう。この言葉は唯一、映像を通じシェーンの言葉として観客が受け取れる。ここから成績も低迷するチーム内のモヤモヤとした問題が明るみになってしまう。

 この物語の人々はそれぞれインサイド・アウトサイドの存在として事件と関係を持っている。ダレン個人にとって、インサイドがエンパイアーズであるとするならば、アウトサイドには2人の人物がいる。会計士のメイソンと敵チームの選手であり、親友のデイビーだ。シェーンの問題発言による謹慎後、彼が投げたデットボールが原因でデイビーは亡くなってしまう。このシーンはストップモーションが利用されており、舞台を挟んで手前、奥で見える光景が全く異なる印象的なシーンの1つだった。観客席手前から見ると死するデイビーの身体と為す術なく呆然とした表情のエンパイアーズの選手が見える。奥側では、デイビー越しに誰よりも動揺した表情を見せるダレンが見えるのだ。直後に流れるTake me out the baseball gameの旋律は、その光景をより空虚なものにしていた。

 ダレンが誰よりも動揺していたのは、敬虔なキリスト教徒であるデイビーから、自身が同性愛者であるという一点を元に至極無礼な態度を取られていたこと、そして怒りのあまり「死ね。」と言ってしまっていたこと、それを立ち聞きしたシェーンがパニックを起こし、結果危険なプレーを誘発してしまったということ。この全てが事件の直前の出来事だった為だ。しかしデイビーにも、敬虔なクリスチャンとして揺るがない正しさがあった。きっと彼は、善い行いをする、正しいアメリカ人だった。だからこそ、親友に「悪魔だ。」とまで言い放つデイビーを100%の悪人とすることができない。この対立は、差別意識の根深さを感じさせる。デイビーの思想が間違っていると観客席の私がジャッジすることは容易でないのだ。

 もう一人のアウトサイド、メイソンはどのように関わっているのか。メイソンは、ダレンの莫大な資産を管理するために雇われた会計士だ。出会った当初は野球のことを知らないが、ダレンとの関係で野球に対しても明るくなっていく。メイソンの言葉は、どこまでもスーパースターに対するファンの言葉だ。自身を神だとさえ言い、誰とも対等であろうとしてこなかったダレンはメイソンの放つ野球への真っ直ぐな感動によって、神を自称することで耐えていた孤独を乗り越えていく。唯一メイソンには「辞めたい」と零すほど、2人の関係は親しいものになるのだ。メイソンが野球観戦をするシーンでは、彼を取り囲むように数人の選手によってフライやキャッチの動作が行われる。言葉はないが、徐々に緩んでいくメイソンの表情からも彼の感じた新鮮な感動が伝わってきた。

 メジャーリーグの強豪チームであるエンパイアーズの選手は、人種も立場も思想も異なる人々が集まっている。キッピーが語るに、あのロッカールームは楽園なのだが、緩やかな檻でもあるように見えた。その場にいる限り誰しもが少なくない我慢を強いられ、黒人、白人、移民、そして、性的指向も含めて自分でも気がつけないほど微々たる偏見が散乱しているのだ。これは、ロッカールームだから発生したのではなく、人間が複数人いる場において必ず起きうることであり、そこから抜け出そうと足掻く人をまた微々たる偏見で眼差してしまう。客席から見るロッカールームは、ダレンがメイソンと出会い、その檻から抜け出そうとする姿、キッピーが訳者として周囲と関わり、その檻を強固にしようとする姿、シェーンが檻の中で投げることに縋ろうとする姿の全てが同時に発生しているためであると考える。そのどれもが今自分を取り囲む社会で起きていることと繋がっている。このロッカールームは、社会の縮図なのだ。

 物語のラスト、メイソンはダレンにワールドリーグの優勝リングを渡され、一緒にパーティーに出ようと誘われる。その誘いを受け入れ、メイソンとダレンはハグを交わす。メイソンは目に涙を浮かべたままだった。孤独だったダレンが、檻から抜け出し、新しく人として歩き出す。この物語は、言葉の演劇であるのだが、誰の視点で見るのかによって問題が変化するため、言葉にするのが難しい。しかし、悲観するのに十分な社会の無意識な偏見を、暖かな目線で描く爽やかな作品だった。

 

結構とやかく言われた。反論できなかったことが今でも悔しい。この戯曲にまっすぐ向き合った彼らがイケメン若手俳優と一括りにされ、あのシャワーシーンを「ファンサービスでしょ?」なんて笑われて、悔しくないオタクがいたらすごい。すごい悔しい。

 

5月:『ジャージーボーイズinコンサート』『ギャカプシー』

行かねば。TMOのあと慌ててチケット取った。Beggin'見た時は倒れるかと思った。トリプルトミーに泡吹いて倒れる。来てくれたもっくん厨友人がいまだにBeggin'の話をするのでDVDを出してほしい。私はあの日のBeggin'が観たい。世界で一番推しさんがかっこよかった。かっこよすぎて涙が出た。推しさん、スポットライトを味方にするのが上手い。

 

下向いてカウント取って、

顔をすっと上げて、

あの大きな手を振り上げた瞬間に

コーラス始まる。

 

この瞬間は暴力的なほどにドラマティックだった。時々これを思い出してクラクラしてしまう。

 

伊礼さんとぴろしの絡みを見ながら、Blueどうなっちゃうんだろうね〜〜と不安になった気がする。ぴろしと海宝さんのCry for Meが本当にあった怖い話でしかなく。ぴろしの顔の必死さがえげつなくて、しばらく海宝さんこわ…と怯えていた。見ているオタクまでもを怯えさせる、海宝さんは日本のミュージカル業界の宝物。こわ。

 

今年初のおぼんろ。葛西幕張公演の中でのテント公演。外でファミリーや犬が遊んでる中、芝居をする。花園神社の胎内感覚とはまた違う美しさがあった。日常と芝居が融け合って、物語がリアリティを飲み込んでいく…この感覚をおぼんろで体験できたことが嬉しかった。グズグズ泣いちゃうのはだいぶマシになって、理知的に観ようとできるようになる。これからも応援したい団体のひとつ。

 

6月『サマエル

別記事で書いたから省略。

シンギュラも行きます。田野ちゃん楽しみ。

*1:ZANNAの世界観はアベコベなのでお酒は子供の飲み物、ミロは大人の飲み物みたいなところがあります。その観点でLGBTを考えられるような割とハッピーなミュージカルです。日本版では「愛したい人を愛せる世界にしようぜ、ベイベー☆」がテーマでした。