アイデンティティ、きみ。

いろんなことが起きている

よもや話

散文です、書き溜めてた短い話の羅列。

 

 

・おたくの世界は広くて薄暗いという話。

本当にいろんな人に良くしてもらっていて、感謝しかない。

少ない観劇とお手紙だけで生きてきた自分にとって、ガッツしてるオタクから聴ける話はなんでも刺激的。ぬるっと茶の間をしてきた自分よりたくさんのことを知っている。俳優厨ってこんな世界だったんだと思うことばかりだ。そんな中で俳優さんも人間なんだなって思う話を聞くことが増えた。未だに自分のような下民には手の届かない神様たちみたいに思っている節があるけれど、少し近づいて見てみようかなと感じたりもする。しかし、お客さんとして出会ったらそこまでだと言うことも肝に銘じなければならない。つながるとかそういう問題ではなく。とにかく強欲は最大の敵で、身を滅ぼすのはいつも自分だけだということ。深入りしないほうが平和かもしれないね、とプレボはいつも教えてくれる(ってつよいオタクが言ってた)。

 

 

・苦手なおたく=自分なんじゃねーかなって話。

政治的に苦手、ノリが苦手、私怨でダメ。理由もいろいろ。特に新しく首を突っ込んだ界隈は苦手であふれている。キャラクターフィルターが激しいのが自分にとって一番しんどいんだってことに最近気がついた。今まで通ってきた2.5次元は原作者さんがめちゃめちゃ良識的だったのか、はたまた自分と合う人だったのか。ベッタベタのフィルターを通して、推しさんのことを好きって言ってる人の多さたるや、また作者から感じる謎の身内感。最初から覚悟してたつもりだけど、やっぱりあんまり面白くない。「○○役を卒業した推しさんの応援を続けるかどうかはわからない」と公開垢で呟いているのを見て、さすがにそんなこと言わなくてもと思ってしまった。また、界隈に押し寄せたキャス変という大波のせいで、またフィルターバリバリのファンの人に推しさんは気を遣っていた。そんな気遣いの文章を読んで、なんでこの界隈はいつもこうなんだろうとしか思えなかった。そのままのあなたが好きです、って、それしか私は思ってないのになぁ。あと、DDが苦手という意味が最近わかるようになった。そりゃ、中途半端な人に自分の推しについて語られたら腹が立つ。全く現場に来ない人の「○○くん売れたよね〜〜」なんて会話でさえ、最近はちょっといやだ。DDで3人推しがいるなら3人とも真剣に回して欲しい。あっちもこっちもは、あっちもこっちもガチでできる時だけ成立するんだと思う。みんな自分なりに頑張ってるのに、他まで口を出す必要はないんだけどなぁ。とはいえ、自分もおかげさまで一途にはなりきれなくて。合わないお芝居を、推しが好きという気持ちだけで全通する器量をあいにく持ち合わせてない、すまん。よっぽど好きじゃない限りせいぜい2回が限界だなんて、多分俳優厨の風上にも置いてもらえない。応援するってとても難しいことだ。私は、どんな温度で「推し」を観たらいいのだろうか、まだ決め兼ねている。

 

 

・返さない本命と、返しそうとしてくれる推しの話。

自分が投げたものを返してくれる推しさんが現れて驚いた。俳優厨の愛は常に無条件で無償で無意味だったはずなのに、涙して「これからもついてきてください。」と言ってくれた。推しさんにつられて とか 感動して 泣くよりも、びっくりして涙が出た。オタクが彼の視界に居る。リップサービスでもなんでも、すごいことだった。視界の中におたくが存在するなんて、そんなことあってもいいのか。こんな人もいるんだ…と思ったら本命さんの返ってこなささを不信と履き違えて、本命を好きになってから一番病んだ。何が好きだったのか見失ってるんだと思う。一応持ち返したけど、まだ見つかってない。2年前の9月に帰りたい。あの日はっきりと「世界を変える」と思った、キラキラした推しさんに会いたい。今、無条件で無償で無意味な愛を推しさんに注ぐことができない自分に、腹が立つ。大事な舞台の最中なのに。たくさん観に行ってるくせに、ごめんなさい。見失っててごめんなさい。お手紙書く手が動かなくて、ごめんなさい。あんなに感動してるくせに、もう降りようかなって思ってて、ごめんなさい。また秋には、無条件で無償で無意味な愛をギチギチに詰めて、ちゃんと劇場に行きます。返してくれる人のことなんか、知らなきゃ幸せだったかもしれない。でも、2人ともそれなりに好きだから複雑。楽しくオタクしたい〜〜〜!(大の字)

 

 

・ここ最近の悲しかった話

好きな役者さんが大きな舞台に出た。好きな役者さん=推しではないのだけれど、歌の表現が好きで、ここ2年くらいゆるく観てきた人。大きな舞台が決まって嬉しかった。注目されること、声援を受けることをはっきりと力にできる人だと思っている。だからその大きな仕事に驚きはしたけれど、納得した。自分だけが好きな人が、まだ見ぬ誰かとの共通言語になれるなら、大きなものも大歓迎だ。しかし、終わってみると、なんだか「私の好きなあの役者さん」はもしかしてナメられてる?と感じてしまう。もっといろんな人に聴いてほしいと何度も何度も思った強いビブラートは、音源の中で削られていた。強い表現、彼だって表現としてやっているのに、結局全体の耳触りを取ったみたいだ。悲しくて悔しくてたまらない。それでも、この音源を聴いた人は「歌が爆裂にうまい」と言うんだろう。想像するだけで胃が痛い。この一件を通じて表現ってなんだろうって思った。改めて。それでも特典を求めて何枚も買ってしまうのが悔しい。好きな役者さんの好きな表現が消されてる音源なんて、いらないのに。と言いながら10枚は余裕で買ってる。軽率は辛いよ。