結局ぜんぶ推しのせい

いろんなことが起きている

変わるもの、変わらないもの。『ミュージカル・ジャージーボーイズ』

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フォーシーズンズの人としてはどうしょうもなくて、才能はあって、夢も野望も大きくて、必死に生きている様が私は好きなんだ。

現場行ってます。

ジャージーボーイズのオタクはなんて呼んだらいいんだろう。2018年にまりゑさんが言っていた、こちらジャージーオーディエンス、JAだ。

 

 

本公演決まった時の素直な感想は、推しさん、あっきーさんのチームにいてほしいなだった。いまだにTeam BLUEの亡霊、伊礼トミーの影を見ているオタク。あっきーさん以外にフランキー・ヴァリやるの無理では?という気持ちが結構大きかった。

花村くん(ここから先は敬意をこめて花村っちと呼びます)がどうなるのか本当にわからなかった。個人的には有澤くんも驚きのキャスティング。若いぞ、Team GREEN、若い。尾上右近さんはなんでもやられる方なのね…と思ったり。右近さんの思い出、2020帝劇JBコンサートでご贔屓さん向けにキンブレの貸し出しをする特設窓口のお姉さんたち。そして、着物のあわせに差し込まれるキンブレ。人生初のキンブレの扱いに困ってる訪問着マダム。カオスな光景ばっかり思い出してしまう。…話が2年ほど逸れました。

 

推しさんはやりやすくてやったーと言っていたけれど、どうなん?という気持ちもまあまああった今回の開演前。

 

10月、GREENのフォーシーズンズがきらっきらしていた。少し予想はできていたけど春と夏を体現したチームだったなと改めて。

 

※以下感想はミュージカルジャージー・ボーイズの内容を把握している前提で記載しました。解説はないです。

 

・愛嬌と品が隠し切れない尾上トミー

これは好みの問題。私は最後までこの愛嬌と品が隠し切れないトミーをどうにも判断できなかった。

伊礼トミー育ちなのでどうしても比較してしまうけれど、伊礼トミーは品はありつつも自分の利益のためならどぎついルートを選べる人だった。尾上トミーは、そういう場面に至らないように生きてそうだった。

トミーのセリフに「こいつはどんどんよくなる。俺の自慢だ。」とヴァリのことを指すものがある。ここ、ずっとトミーにとってのヴァリはモノ・宝物のイメージがあった。

尾上トミー、マジで、ヴァリが大好きだった。初めてあのセリフで愛情を感じた。

なんとも言えない小物感問題。

以前推しさんが右近さんから演劇の話を聞いたことを思い出した。歌舞伎の型の話だったけれど、子供は体のどのパーツを安定させないようにする、悪者はどういう風に歩く、みたいな話。あのなんとも言えない小物感は、積み重ねられた身体性が結構大きいのではと思った。どっしり構えて歩いてるよりは、ちょっと前のめり、気にして大股で歩いてる印象があった。なんであんな小物なんだろう。

FALL、追放寸前のところで哀しそうな悔しそうな表情で残る3人を見つめるトミーの姿が忘れられない。私にはあの顔が「後悔」に見えてしんどくなった。俺がやったことってすごくまずいことだったのでは?って、取り返せないのでは?って、そんなところで気が付かなくていいのに。最後までブチ切れながら出ていけばいいのに。

気が付いた時にはなんにもないし、誰もトミーのことを見ていない。

「偉大なる身分を獲得するものもあり、与えられるものもある。与えられて、台無しにする。」このヴァリの言葉をずっとニックへの皮肉だと思っていたけど、今回初めてトミーに対してもかけられてたのかなと感じた。

 

 

・友情と才能の輝き、有澤ボブ

 正直東宝で出会うと思ってなかったですごめんなさい。推しさん曰く、俺の一押し。まず言いたいのは、この人に白ハイネックを着せた人天才ですか。似合いすぎて笑っちゃった。

私は慶應幼稚舎エスカレーター進学のボブ・ゴーディオと言っていたけど、元の育ちの良さが出るキャラクターになっていたような気がしている。

このお兄さんラッピング剝がすの初めてじゃないです(隠喩)結構剥がし慣れてる顔してます!!

出自がいいから彼が印刷工場で働いてることは、フォーシーズンズの下降線をしっかりと表していた。

有澤ゴーディオで特筆したいのはボブ・クルーとの友情のこと。

これは観に来ていた友人が言っていたのをきっかけに嚙み締めた部分でもあるが、2人がヴァリを押し上げた、ちゃんとクルーとゴーディオが横並びで戦ってる感がすごかったと思う。今までのゴーディオは自身の才能を信じ、その才能を体現するヴァリを諸々含めた一人の人間としてではなく、楽器的な意味合いであったりや彼の才能の部分にフォーカスして信じていたような印象があった。(ここは、トミーの俺の自慢だ、に近いものがある場合もある)

有澤ゴーディオは、とんでもんない才能をもつ一人の友人を愛し、フランキー・ヴァリのために曲を書き続けていた。そして、それを傍で見守っていたボブ・クルーの存在をしっかりと感じることができた。Can't take my eyes off of youがかかった時のクルー、ゴーディオの決まったなって顔が今でも忘れられない。二人の間にも言葉じゃないところで通じ合っていたものがあったのだろうと思わされた。WINTERの前半は、ヴァリの物語じゃなくて3人の物語だったなぁ。

 

・目を輝かせて世界を切り開く花村ヴァリ

花村っちは私の好きなミュージカルにばっかり出てるので今回で3度目まして。花村っちのMy mothers eyesが最高に好きで初手からぶっ飛ばされてしまった。もっと初手の話をするとトミーとヴァリの兄弟愛的な関係が新しい上にまぶしくてめまいがした。あんなにキラキラした目で演奏する3人を見てるのが新鮮すぎた。坊やと言われるのは腹が立つけれど、トミーのことを兄貴分的に思っていて、新しい世界を見せてくれる存在だってことがわかる一瞬だった。人として愛されるヴァリと初めて出会えた気がした。

あっきーさんのヴァリは新しい世界に目を輝かせて飛び込んでいくというより、その世界を斜めに見ること、懐疑的でいることがベースにあるように思っている。これはヴァリが幼い時から決して裕福な家庭で育ったわけではない点ですごく納得していたのだが、花村っちヴァリの素直で、純真で、音楽だけがあって、目まぐるしく世界が変わっていくのが面白くて仕方ない様子に観客まで楽しくなってくる。SUMMERでSherryが売れた!となった時に、こっちまでよっしゃ!!と思わされる。ゴーディオが自分たちのレコード会社が作れるかも!なんて話をしているとき、しっかり私たちはフォーシーズンズのファンの目線にさせられるのだ。そして最初から目をキラキラさせてた花村っちのヴァリにもっといい景色を見せてあげたいと思った。私は、オタクなので。

My Eyes Adored Youは、曲中の苦しさややるせなさよりも、自分の居場所はステージの上にあり、何かを決意するようにDawn (Go Away)へ進むさまが私にとっては印象が深かった。あの瞬間「自分はこちらを選ばなければならない」と言外に表されるようだったのだ。選ばなければならない道の先に、Can't take my eyes off of youのようなめぐりあわせがあるなんて結果論になるけど良かったよね…。

 

 

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・言外の可能性、GREENのニッキー

思い入れがありすぎて、何を書いていいかわからない。

前回ジャージーボーイズが大好きだったのは、私のエゴと我慢の1年2か月が全部乗っかっていたからでもあり、最後に逆算されたようにすべてがつながるニッキーの存在が毎回こっちの心をズタズタにするからでもあり、伊礼さんとのコンビが大好きだったからでもある。BLUE兄組、フォーエバーラブ。

今回は、兄組というよりみんなの兄貴ニック・マッシになっていた印象。たくさんモノを言うわけでないけど、トミーが詰まったらニッキーにどうする?って聞くヴァリの図が見える。トミーにとっては最悪の展開なので主導権を誰かに渡すことはないのだろうけど。

GREENの推しさんは揺れなかった。前回どうも沸点が届かない日が続いたFALLが嘘みたいだった。ちゃんとキレてる。10年!が決まる度に心の中でガッツポーズしていた。嬉しかった。

前回は4人横並びになるために足元を確認してる姿を見てるとしたら、今回は4人横並びをキープするために周りを見て整える姿をたくさん見た。中川GREENというヴァリキャスト入れ替え公演の日、有澤ゴーディオ、尾上トミーがあっきーとの距離が上手く取れてない様子を即座に感じとったのか、動く動く。周りを動かすこと動かすこと…あれはすごかった。FALLまでにちゃんと距離感を捕まえさせれば、WINTERになってもやっていけると踏んでの行動だったんだと思うが、2人への信頼もさることながら、あっきーさんの行動の先読みもできないとあの場で整えていく役割はできない。そこを一手に引き受けてやり切ったのを観たとき、この人応援しててよかった!間違ってなかった!と思った。この日の彼を領域展開と呼んでいる。普段「自分が自分が」って言うくせに、周りのこと誰よりも広い視点でちゃんと見て、受けるお芝居がとっても映えるところがいじらしい。

彼のサブタイトルを「言外の可能性」にしたのは、言葉以外のところでも結構こだわりが詰まってるんだなって知れたので。椅子がかなり重要だったみたい。思い返すと上下で移動する時に軽々しく担いでみたり、肩にかけてみたりしていた。椅子はずっとニックの身体にべったりくっついていた。彼の体格の大きさもあってそんなに気にならなかったのだが、あれはその後に起こる苦しい記憶のトリガーだったのかも。

まだある、今回のニッキーの好きなところ。彼は観客の視線の誘導がやっぱりピカイチなのだ。掌握されたと表現することが多いけど、「俺はここまであんまりしゃべってこなかった」から地下室の離別に至るまでの一人語りパートが観客にとってノンストレスなのだ。こちらの視線が自然とセット上にいる回想のヴァリであったり、すれ違う回想のトミーへ向く。本当にすごい。ここも好きだった。どうしよう絶賛してる。

相変わらずDecember 1963 (Oh, What A Night)で女の子を膝に乗せて甘ったるくなってるニッキーが大好きで気が狂いそうだった。4年前から一期一句変わらずな感想を宣いながら現地に通い、ドライアイの目をかっぴらいてあのシーンを凝視していた。下手が好きなんだけど、上手側入るこのポイントが凝視しやすいから悩ましくて本気で困った。

 

・その他いろいろ

東京、福岡、横須賀と今回は遠征もしまして3か月走り切りました。

実は通うのが初めてだった日生劇場。海の中のような建築が素敵すぎた。ロビーも広いし、座るところいっぱいあってぼっちの日もゆっくり休憩できた。チケットをお譲りした人から興奮気味に刀以外の推しさんを初めて見ました!かっこよかったです!ってお礼メールが届いたことがとても印象に残ってる。嬉しかった。こうやって推しさんのことをいい役者だなって見てくれる人が増えたらいいな。友達もたくさん来てくれた。改めて来てくださってありがとうございました。またいつでも観に来てください!

下手入ることも多かったけど、上手の時はガールズのオタクすると決めていた。ジャージーガールズ大好き!!!花柄のワンピースも、クリスマスのガールズも、ドリームガールズみたいだったMy Boyfriend's Backの衣装も、可愛すぎる!ペンライトにピンクが増えたのに、ガールズメドレーなくなったのなんでなんですか。

 

なんでなんですか…。

 

 

 

福岡は博多座の居心地がとんでもなくよかったのと、唯一でっかいパネルを出してくれてオタクっぽい写真も撮れて楽しかった。パネルの側面がチームカラーになってて心遣いを感じた。現地の友達も観に来てくれて、2.5次元じゃない推しさんを見てもらえたことが嬉しかった。またこういう機会があればいいな。福岡も行きたい。

 

横須賀芸術劇場、会場の隣は推しさんが昔イベントをやっていた箱でした。あのイベントは、全然良くない意味で自分の中に残っていて、それでも乗り越えてここまで来たんだなって思いと千秋楽と二重の意味でグッとくるものがあったり。推しさんの顔も見れないぐらい傷ついて嫌いになったこともあるけれど、相変わらず客席にいるのが答えです。最後GREENみんな泣いててびっくりした。涙で言葉が詰まるところなんてあまりにも珍しい。様々なフィールドで活躍している普段だったらつながらないはずの4人があの舞台で口々に「出会えてよかった」「まだ歌っていたかった」と零すのは万感以外に表せない。そんな姿を泣き笑いで見守る周りのキャストやスタッフさんの様子も微笑ましかった。TeamGREENって愛されてたんだね。私も気がついたら大好きになってた。

横須賀まで来てやっとBLACKも観た。藤岡くんが天才すぎた。衣装から動きから違うところが多すぎて、違う作品を追ってた。比べる方が野暮だった。

秋に始まったのに終わったらクリスマスでした。頑張ったなぁ。

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・総括

ジャンルにこだわってるわけじゃないけれど、私はミュージカルの世界で生きてる推しさんが大好きで応援してる。ここは自分の根底なんだと思わされるJB期間だった。2018年の推しさんだったら引き受けなかったかもしれない姿、BLUEがあったからGREENがある、また一歩進めた実感もある。そして、新しいジャージーボーイズの姿を見つけたGREENでもあった。彼らが年齢や経験を重ねて、またフォーシーズンズになったらどうなるだろう。楽しみすぎる。

 

どうしようまた会いたいチームが増えちゃった。ジャージーボーイズが大好きなまま令和を生きてます。

向き合う勇気がほしかった『舞台黒子のバスケ ULTIMATE-BLAZE』

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平成最後の舞台がくろステだなんて、天変地異かもしれない。どうしても観たいと思えなかった作品を観る、ただそのために新幹線に揺られている。何もかもがどうしょうもなくてもいい。この作品の中の推しさんと向き合う勇気ときっかけをやっと手に入れた。ただそれだけ。

 

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答えはきっとずっと先。「ミュージカル刀剣乱舞三百年の子守唄」

 

2019年最初の推し現場。

 

発表になったタイミングが本当にしんどかった。

推しさんに大手を振って大好き!最高!と大騒ぎしていた秋の現場の大楽直前の夜だった。また一方で推しさんの誕生日直前、「誕生日プレゼントありがとう」の空気と、ちょっとした匂わせ疑惑と。私の頭はめちゃくちゃ。呆然としながら友達に電話をかけ、なぜか大泣きした。ジャージー・ボーイズぐらい、待ちぼうけした1年2ヶ月ぐらい、すっきり終わりたかった。それすら許してくれなかったか、みたいな、そんな気持ちで始まった。そんなに嫌なら行かなきゃいいだろうという話なのだが、乗り越えたい気持ちのが大きかった。2年前混乱の中で終わったアレを乗り越えるなら今しかないと思えたのだった。

 

この現場にあたって私が決めたことは2つ。1つ目は観ながらお芝居にリスペクトが持てていないと思ったら、手元にチケットが何枚あろうと終わりにすること。2つ目は絶対に地方には飛ばないこと。「会いたいって思えるんだったら行っちゃえば?」と仲良しさんには言われていたが、今回はひとまず頑張らないことにした。

 

推しさんにとってこの作品が、人生をひっくり返すほどの出会いであったことは間違いない。「(この作品で)才能が開花した。みんなに出会えた。」と嬉しそうに話す姿を何度も見てきた。そして、私にとっても推しさんのところへ戻ってきたきっかけの1つであることも間違いない。それでもこの作品の中で生きている推しさんをまるっと肯定して、愛していくにはまだ時間がかかりそうだ。ひっくり返った世界でまだ自分の場所を見つけられずにもがいている。もともと場所なんかないのだ。それでも、なんだか虚しくなってしまったりもした。団扇を新調しながら何度も何度も同じことを考えた。周りの協力もあり年明けにチケットは揃っていたが、もやもやの答えは出ていなかった。

 

ずっと楽しみ半分、不安半分。瞬く間に初日の幕は上がっていた。推しさんのお芝居はとても丁寧になっていたように見えた。揺れないとかブレないとか、後ろで控えてる時もパワーを張り詰めておくとか。静かな一瞬に推しさんなりのこだわりを感じた。大好きなソロは、初演よりもずっと迫力と勢いが増していた。ベタッとした歌い方が結構好きだったんだな、とも思った。あの曲の後に「エイエイオー!」の掛け声、凛々しく場から去っていくシーンを見た時に、なんとも言えない懐かしさとまた何かが大きく動き出すんだという実感が急に湧いていた。全然泣くようなシーンではないのにボロボロ止まらなかった。口では時間よ止まれと願いながら、結局推しさんの時間が進むことしか望んでいなかったことに気がついた。「さすが村正のファミリー、痛快です!」のタイミングが変わって、静寂が短くなっていることに気がついたのは凱旋に入ってからだった。

 

推しさんに出会って、言葉の演劇だけじゃなく身体の演劇が好きになった。どういう風うに動くか、どうして立ち止まるのか。立ち姿ひとつでその人の思考や生活がにじみ出ることを知った。目線の動かし方で、相手との関係性や相手に対する感情の見え方が変わってしまうことを覚えた。そんなささやかな仕草をじっくり見ていくのが好きになった。だから今回もそんなところばっかり覚えている。物吉くんが石切丸さんに詰め寄るとき、蜻蛉さんはいつも目を閉じて話を聞いていた。言葉数は少ないが、絶対にブレないように、心の中の波風を立てないように後ろでひたすら受け止めてる姿。この人は終始これなんだなと思った。自身の中に渦巻きもあるけれど、流れを受け止めて、構え続けるから蜻蛉さんの一言一言は重みを持つ。初演の時に感じなかった、彼が本丸で過ごしてきた短くはない時間を今回は感じることができた。

 

他には、村正派の素手攻撃が増えてびっくりしていた。槍離した後に敵ぶん殴ってますけど!?こんな感じで戦ってましたっけ!?刀咥えちゃうんですか!?なんですかこれ!?と終始大混乱していた。銀河の時は違和感があったが、TDCになってから舞台サイズが拡大し、離れ技が映えるようになったので納得した。銀河は想像よりはるかに手狭なのだと思い知った。 今回は何度か立ち見を経験した。1度目は偶然の巡り合わせでやってきたチケットだった。3階席立ち見。セットの動き方が綺麗に見えて、めちゃくちゃ面白かった。初演の大階段、横に伸びる形状から二つに割れる階段になり、舞台のかたちも相まって奥行きの表現に気を遣っていたようだ。雑に言うと、上下の初演と前後の再演。上からこうやって動くんだ〜ここでくっつけるんだ〜とセットを眺めているのも面白かった。この時点でお芝居へのリスペクトがなくなりかけているといえば、そうだったかもしれない。

 

倶利伽羅のキャスト変更に関して、ここで触れるべきか悩みあぐねているが、できるだけあっさり述べるなら、「身体能力が高くて若くなった」が感想だ。少し線が細くて小柄な印象を受けたが、殺陣がとても綺麗だった。中の人のツイッターの様子が日々おかしくて、気がついたら結構好きになってしまった。  

 素晴らしい瞬間がたくさんあった。ささやかな感動を挙げていったらキリがないほど。みほとせはどちらかと言うと土着的で地味な話だ。劇中で青江や村正が語る家康像は、みほとせそのものへの印象に近い。歴史遡行軍の徳川四天王殺害による歴史上の窮地から長い時間をかけて、一般的になった史実のルートへ戻してく様を石切丸の視点から描いている。その中で己の出自への葛藤、刀剣男士としてのあり方と悩みに焦点が当てられ、一振り一振りが成長の物語を重ねていく。初演では、個の物語の印象が強く、特に大倶利伽羅と吾兵の物語に観る力点が絞られてしまっていた。*1しかし、今回はそれぞれの物語をきちんと観ることができたように感じている。輪郭を形づくる蜻蛉切、周囲との関わり方を自分で見つける村正、過去と対峙する青江、モノとひとの間で強くなる大倶利伽羅、初めての矛盾に立ち向かう物吉、そして、仲間を知る石切丸。

揶揄されることも多いこのシリーズの中で、こうして振り返ることができるほどきちんと素敵な芝居を観た。それだけで私も強くなれた気がする。リスペクトは最後まであった。ギリギリだったけど、芝居が好きなまま現場へ行けた。

 

2部の話を少しだけ。2バルでふと下を見ると、紫がいつもより多かった日があった。純粋に嬉しくて堪らなかった。元々のコンテンツに明るい方ではないから、推しさんが演じている蜻蛉切がどれだけ原作に忠実かはわからない。もしかしたら怒られてしまうほど違うのかもしれない。推しさんの色がたくさん入ってしまった蜻蛉切さんをこの瞬間選んで、応援してる人がこんなにいて、私もその一部になれて、こんな大きな劇場で、推しさんはあの日のような宇宙を見てる。サイコーに気分がよかった。1部で苦しそうでも、2部で歌って踊ってるうちに笑顔が溢れてくる姿、さっきまで頑張れ!って見てたのに、次の瞬間には会場を震わす歌声を響かせる。音楽の中で生きている推しさんが好きだ。推しさんそのものが滲んでくる瞬間に出会えると嬉しくて仕方ない。

 

なんだかんだ楽しく過ごしたみほとせ期間だった。繰り返しになるが、この作品でお芝居を観れた実感が何よりも嬉しかった。これからこの作品の周辺で起きること、そして、相変わらず高速で変わっていく推しさんに対して、「まああんなこともあったよね。」と笑えるようになるまで、この居場所探しの答えが出るのはずっとずっと先の未来のように感じる。それまで推しさんの舞台を楽しく観ているかは、正直自信がない。それでも、推しさんが歩きたい未来に今の全てが繋がっているように、答えのひとつになるように、信じることしかできない。

 

答えがいつか出ますように。

 

すっかり自分語りになってしまったが、この半年間大きな怪我や病気の話もなく、大きな作品と役にまっすぐ取り組み続け、時には「しんどい〜!」とこぼしながらも、観てるこっちが心配になる日もありながらも、毎回毎回新しい気持ちをくれた、役者としての推しさんを改めて尊敬した。どこまでいけるかわからないけど、今年も一緒に楽しい時間を過ごせますように。ちょっと遅くなったけれど、お疲れ様でした。

*1:これはあくまで筆者の見方です。